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長谷部誠ロングインタビュー(サッカーダイジェスト)

ミムラユウスケさんがサッカーダイジェスト紙面で発表されたロングインタビューが
サッカーダイジェストウェブでも掲載されました。

ニュルンベルクからフランクフルトへ移籍した時の事
ワールドカップ・ブラジル大会の事
日本代表の事
そして、今の自分の事

長谷部さんの飾らない、でも真摯な言葉を
インタビューされたミムラさんが丁寧にまとめられております。
ぜひ、ご覧下さい。




【長谷部誠インタビュー】生粋のリーダーが激動の2014年を振り返り、アジアカップへの決意を語る!
引用元:SOCCER DIGEST Web 1月8日(木)19時52分配信
http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=6870

今でもニュルンベルクに残ることが正解だったのではないかと思う時もある。

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 度重なる怪我と、所属していたニュルンベルクの降格、フランクフルトへの移籍、そしてワールドカップでの敗戦――。長谷部誠にとっての2014年は、これまでのサッカー人生で最も辛く、激動の1年となったはずだが、その表情は充実感に満ちている。

「自分はもっと成長できる」と語る生粋のリーダーが、2014年を振り返りながら、アジアカップへの決意を語ってくれた。
(※『週刊サッカーダイジェスト』1月6日・13日合併号より)

――◆――◆――

――2014年は様々なことが起きた1年だったと思いますが、長谷部選手自身の中で印象に残った出来事を3つ挙げてもらえますか?

「真っ先に思い浮かぶのは怪我。それにワールドカップと移籍ですね」

――怪我というと、今年は大きく分けて3回の離脱があったかと思います。まず1月に、ニュルンベルクでのキャンプ中に負傷しました。その時は、どのように感じましたか?

「あの時は6週間くらいで治る怪我だったし、チームが残留争いをしていたので心苦しい部分がありましたが、焦っても仕方がないから、できるだけ早く治して、チームのために頑張ろうという感じでしたね」

――ただ、同じ箇所を再び痛め、2月末に再手術へ。この時、約3か月半後に迫っていたワールドカップのことが頭をよぎりませんでしたか?

「シーズンの終わりに復帰できるかどうかと言われていたので、頭をよぎったのはニュルンベルクのこと。ヴォルフスブルクから移籍してきて、(自分が出場した試合では)一度も勝っていなかったので。1月に日本で行なったリハビリまでは完璧だったし、しっかりステップを踏んでいる感触はありましたが、 今思えば (練習の強度を上げるのが)少し早かったのかな。ニュルンベルクには(13年夏の)移籍期限ぎりぎりで、高い移籍金を払って獲ってもらったので、チームに対して申し訳ないなという気持ちが大きかったです」

――それでも5月10日のリーグ最終節・シャルケ戦(1-4)に強行出場しました。2月末に怪我を再発させているだけに、リスクもあったのでは?

「チームのためにやらなきゃ、という想いだけでした。そこまでのトレーニングを通して、プレーできるだろうと感じていましたし、自分は100パーセントの状態ではないけどチームを助けるために試合に出たいという話をしたら、監督から『試合に出てくれ』と言ってもらえたので」

――しかし、チームは2部に降格。長谷部選手は残留か移籍かを決断しなければいけないうえに、すぐにワールドカップが控えていました。フランクフルトへの移籍を決めるまで
に、悩むことも多かったのでは?

「やはり、決めるのは難しかったですよね。最終的にはサッカー選手としてより高いところを求めたいと思い、またフランクフルトが自分を中盤の選手として欲してくれたので移籍を決断しました。でも、自分の中の『人間性』という部分では……、今でもニュルンベルクに残るのが正解だったんじゃないかと思う時もあります。後悔しているわけではないのですが……。たぶん、これから一生考えるのでしょうが、サッカー選手として上を目指すことを考えれば、どうしても高いレベルでプレーしたかった。決めるまでにはけっこう時間がかかりましたし、フランクフルト以外のドイツの他のチームからもオファーをもらっていて、ニュルンベルク残留を含めて、すべての選択肢を並べて考えましたね」

――かなり悩んだのですね。

「特別な決断でした。チームが2部に落ちてからの移籍でしたしね。代理人からは『私がニュルンベルクに(契約を更新しないと)電話しようか?』と言われましたが、最後は自分でニュルンベルクのGMに電話をかけました。想いを伝えるのは、自分の口から話したほうがいいと思ったから」

前体制の良かった部分は日本代表のスタイルとして受け継いでいきたい。

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――そしてブラジル・ワールドカップに向けて5月末から行なわれたアメリカでの直前合宿で、長谷部選手は今年3度目の怪我を負い、その後のふたつの強化試合(6月2日のコスタリカ戦、6日のザンビア戦)を欠場することになりました。本大会へ、焦りはありませんでしたか?

「あの時は、無理をすればやれたと思います。ただ、ザッケローニ監督には『自分がこのような状態である以上、他の選手を(大会登録メンバーの23人に)呼んだほうがチームのためになるなら、その決断をしてください』と話はしました」

――監督にそのような話をする前は、どんな心境でしたか?

「自分の中では、はっきりしていました。何がチームのためになるのかを考えていたので、できるだけ早い段階で(自分をメンバーに残すか外すかの)決断をしてもらったほうがいいと思ったし、自分に代わって呼ばれるかもしれない選手がオフに入ってしまう可能性もあったので。ただ、監督が『怪我が良くなるまで待つ』と早いタイミングで決断をしてくれたので、無理はしませんでした。ブラジルに入ってから状態が急に良くなった時もあったので、『これだったら行けるかな』と感じたりもしました」

――改めてブラジル・ワールドカップを振り返ると、日本代表が残した1分2敗のグループリーグ敗退という結果について、どのように感じていますか?

「負けた時には多くを語らないほうがいいものですが……、当事者がそれを分かったうえで皆さんに語っていかなければいけない部分もある。もちろん、『経験が足りなかった』と言ってしまえばそれまでですが、結局あのような大会は本当に小さなことで風向きや勝敗の行方が決まったりする。そういう意味では運も含めて、すべてを引き寄せられるように細かい部分にこだわらないといけなかったと思います。ただ、どうすれば良かったのかと訊かれても、今でも何が原因で上手くいかなかったのか、ハッキリとは分からないですね。いつの日か、あの経験が活きたと言える時が来ると信じて、やるだけです」

――最後の試合となったコロンビア戦後に「言い訳をするつもりはない」と前置きしたうえで、「自分たちの目指した方向性は間違っていない」と話していましたが、長谷部選手の言う方向性とは?

「日本人の特長を活かしたパスワークや、コンビネーションを活かして相手の守備を崩すようなサッカーですね。ただ、これから求めていかなければいけないのは、その先。例えば、ボールへの寄せもそうだし、組織としての連動した守備もそう。結果が出なかったので、すべてを否定したくなる気持ちは分かりますが、良かったところはスタイルとして受け継いでいきたいという想いもあります。4年やって、結果がダメだったからといって、やり方をガラッと変えて一から始めるという繰り返しは良くないと思うから」

――活動時間の限られる代表で、チームとして“連動”するためにはどうすべきでしょう?

「育成だと思います。一貫して、育成年代から同じことをやっていく。あるいはドイツ代表にバイエルンの選手が、スペイン代表にバルサやレアルの選手が数多くいたように、それくらいのビッグクラブを日本に作ったり、Jリーグがそういうリーグを目指すというのもひとつの手だと思います。もちろん、世界のサッカーの流れは常に変化しているから、そこにも敏感に反応していかなければいけないとは思います」

――ところで、退任したザッケローニ監督が日本を離れる際、内田選手と空港へ見送りに行っていましたね。

「ワールドカップで結果が出なかった以上、監督、選手、日本サッカー協会などが批判されるのは当たり前のことだし、その責任もありますが、監督は自分が生まれ育ったのとは違う国に来て、日本人のことを本当に理解して、日本人の良さも見てくれた。ひとりの人間として空港に(見送りに)行ったという感じです。あの時はチームも解散して、もう選手と監督という立場でもなかったですしね。今でも、たまに連絡が来ますよ。『イタリアに遊びに来い』と言われているので、タイミングが合ったら行きたいとも思います。

 ただ、勘違いしてほしくないのは、監督と選手という関係だった時期には、プライベートでは一切、会ったことがないということ。『お前はキャプテンだが、プレーが悪くなったら外す』と監督から言われ続けましたし、選手と監督という関係は少しも崩れていなかったと思います」

代表とは「選ばれるところ」ではなく、「試合に出るところ」。

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――コロンビアに敗れた翌日の取材で話を聞いた時に感じたことなのですが、長谷部選手は日本のために活躍したいと思う半面、一度くらいレギュラーの座を脅かされたいと考えていたのではないのか、と。

「それはありましたよ。例えば、ボランチはヤットさん(遠藤保仁)と僕で6年くらいコンビを組んでいたけど、ボランチの選手がそんなに長く代表で一緒にやるのは珍しいでしょうし、他の選手に抜いてもらうくらいでないと、チームとしても困るなあと思うことはありました」

――もちろん、レギュラーである自分からそれを言い出すのは難しい。

「難しいですけどね。うーん、なんて言えばいいんだろう……」

――例えば、まだ代表のキャプテンマークを一度も巻いたことのなかった2010年南アフリカ・ワールドカップ前の時点で、長谷部選手はすでに「チームを引っ張るのは俺だ、という気持ちでやっている」と何度も発言していました。

「そうですね。もちろん、ブラジル大会の時もサブで良いと思ってやっている選手はひとりもいなかったはず。ただ、すごくいいレギュラー争いができていたかというと……、そこは少し足りなかったかなと思う部分はありました。個人的に代表とは、『選ばれるところ』ではなく、『試合に出るところ』だと思いますし、そういう感覚で代表に来ないと、それ以上はない気もします」

――長谷部選手が初めて代表に選ばれた時は、どうでしたか?

「(2006年1月に)ジーコ監督から初めて代表に呼ばれた時、僕はまだ21歳だったのですが、『ドイツ・ワールドカップに絶対に出るぞ』と思っていたんです。監督からは『代表には序列があるから』と言われたのですが、『じゃあ、序列を崩してやる』と意気込んでいて。練習や試合でもそれなりに良いプレーができた手応えがあって、『これ、行けるんじゃないかな?』と自分でも思った時がありました(笑)。

 まあ、結局ドイツ・ワールドカップのメンバーには選ばれなかったのですが、その後(2008年1月に)ドイツに渡って半年弱で代表に呼ばれた時には、『自分がチームの中心になろう』と思いました」

――当時は24歳ですね。

「代表の練習に行った時、『レギュラー、いけるな』と少し思いましたから(笑)。フィジカル的な部分もパススピードもそう。ドイツのサッカーに慣れていたから、『オレが中心になってやらないとダメだ』と思いましたね。

 もちろん、監督の好みもあるから難しい部分はありますが、代表に選ばれるだけじゃなく、自分がチームを引っ張って世界に勝つというくらいの気持ちをみんなが持たないといけない。2010年のワールドカップが終わった後に岡ちゃん(岡崎慎司)、長友(佑都)、(香川)真司、ウッチー(内田篤人)などが海外で活躍するようになり、そういう気持ちをみんなが持ってやってきた。そういう選手が多ければ多いほど、代表チームは強くなっていくし、若い選手が出て競争が激しくなれば自分自身も成長できますからね」

今までのサッカー人生の中で、この1、2年が最もボランチとして磨かれている。

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――ここまでの話を聞く限り、長谷部選手の視線はすでに2018年のロシア・ワールドカップを捉えていそうです。

「いや、今考えているのは目の前のことだけで、4年後はまだ想像していないです。自分自身はまだまだ成長できると思っているから、すべてを全力疾走でやっていくだけ。この1、2年は、今までのサッカー人生で一番いい時期を過ごせているという感覚が自分の中にあるから」

――それはなぜですか?

「経験を積んできましたからね。あとは今シーズンも含めて、この2年間ほど中盤の真ん中でブンデスリーガの試合に出られたことはなかったから。だから、ボランチとしては、今が一番磨かれているという感覚があります。強さも判断も、すべての能力がね。試合が終わって、『今日はまだまだだったな』と思うことがあるのは、自分はもっと成長できるという感覚があるからです」

――2015年1月に、オーストラリアでアジアカップが開催されます。ずばり目標は?

「自分自身がしっかりと試合に出て、チームとして連覇することです。簡単な戦いでないのは、重々承知しています。でも、日本はここ4大会で3回優勝していて、連覇も期待されている。やっぱり勝ちたいですね」

――ブラジル・ワールドカップから監督やスタッフが代わり、メンバーもそれなりに入れ替わりました。代表チームとして継続していくべきものと変えていきたいもの、それぞれ教えてもらえますか?

「ブラジル・ワールドカップまでに過ごした4年間の何が正解で、何が不正解だったかを聞かれると、答が出ない部分があります。今、そこから少し変わろうとしているのは、細かいプレーについて。アギーレ監督が非常に厳しく言うのは、状況を判断してピンチになると思ったら、無理にパスをつなごうとすべきでないということ。監督は勝負について厳しい。経験のある選手には『小さなミスは許さない』とも言いますしね。勝者としてのメンタリティのようなものを、どんどん植え付けられていくのかなと」

――長谷部選手自身は、その点についてどう感じているのですか?

「そういうことは必要だと思います。僕はこれまでクラブや代表で、優勝するチームにも、降格するチームにも所属してきました。そこで感じるのは、勝つチームというのは勝利へのこだわりが本当に強い。その強い想いが、相手に一歩分だけ身体を寄せられるかどうかなど、試合中の本当に小さなプレーに表われてくるもの。そういう部分を自分も求めていきたいと思っています」

取材・文:ミムラユウスケ

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テーマ : サッカー
ジャンル : スポーツ

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